檀家制度ってなに?その成り立ちや実態をくまなく解説
檀家制度とは?徹底解説
- 檀家制度は寺が供養を管理する伝統的な関係。
- メリットは専門供養と事前のお墓確保。
- デメリットはコストとライフスタイルの不一致。
- 人口変動や価値観の変化で檀家制度は衰退傾向。
檀家とは、菩提寺に祖先の供養を取り仕切ってもらう家のことです。
地域共同体が崩壊し、人々は自由な土地に住み、それぞれの地域の寺院を選ぶようになりました。
檀家制度は衰退の方向に向かっていますが、そもそも檀家とは、そして檀家制度とはどういうものなのでしょうか?
知っているようであまり知っていない、檀家制度について詳しく解説いたします。
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檀家制度の歴史と役割
檀家制度とは、寺院が檀家の死者や祖先の供養一切を取り仕切る関係性のことです。
境内にお墓を建ててる寺院のことを「菩提寺」、そしてその寺に属する家のことを「檀家」と呼びます。
葬儀、そしてその後の供養をする上で、宗教儀式を取り仕切る役割として、寺院は欠かすことができません。
しかしこの檀家制度は、現代の社会構造に沿うことができず、「寺離れ」や「宗教離れ」は深刻な問題です。
少子化や過疎化が進行し、地方では人そのものが減少しているため、家も寺院も維持が困難です。
地域共同体は崩壊しつつあり、檀家制度は必然的に衰退に向かっています。
檀家制度がどのようにでき上がり、定着し、そしていま現在どんな問題を抱えているために限界を迎えているのか、順に追ってみていきましょう。
檀家制度ができるまで
檀家制度は、江戸時代から始まったと言われていますが、それまでも民衆と寺院のつながりはありました。
飛鳥時代に仏教が日本に伝来して、当時では最先端の教義上の論理をかねそなえていた仏教は、またたく間に有力者たちに広まり、信仰の対象となりました。
一方で、民衆たちに仏教の教えを説きながら諸国を遍歴する遊行僧(聖:ひじり)もいて、彼らはあちこちの地域を歩き回り、当地で死者供養をしては布教に尽力しました。
中世の日本では、仏教寺院を拠点に活動する僧侶と、寺を持たずに庶民の中に飛び込んでいく僧侶とがいたのです。
日本の仏教というのは面白いもので、インドから始まった仏教の教義と、その昔から日本で定着していた祖先崇拝(神道と親和性が高い)とがごちゃ混ぜになっています。
この祖先崇拝は、家族や親族のつながり、つまり「イエ」の観念と結びつき、応仁の乱以降、その傾向はより強まっていきます。
檀家制度は江戸時代から始まった
いまで言うところの檀家制度は江戸時代から始まりました。
江戸幕府は、寺院と檀家のつながりを強制化しました。これは仏教の国教化と呼んでも差支えがない政策です。
幕府が頭を悩ませていた存在にキリシタンがいたのですが、彼らを弾圧、排除するために、1612年に禁教令(キリスト教禁止令)を出します。
そして幕府は、民衆たちが檀家であることの証書の発行を日本全国の寺院に義務付けました(寺請制度)。
寺院はこれによって、民衆を入檀させ、管理しました。
檀家にならない者は弾圧されるため、この政策によって民衆は必ずどこかの寺院に属さなければならなず、寺院の権力はより強固に増していきました。
すると、寺院の腐敗が横行するようになり、民衆側から寺院への不満が募るようになります。
江戸時代からすでに廃仏論が起きていますし、江戸幕府が倒れ、明治政府が神道を国教化するのに合わせて、日本中の仏教寺院で打ちこわしが行われます(廃仏毀釈)。
それでもお葬式の役割は仏教だった。
明治政府は、明治6年に火葬禁止令を布告しました。
これは、仏教の象徴である火葬を禁止し、民衆の死者供養も神道で執り行おうとしたものでした。
江戸幕府と仏教寺院の結びつきが強かったために、幕府側の勢力を弱体化させる意味でも、明治政府は宗教政策として神道の普及を精力的に進めていったのです。
しかし、火葬禁止令は2年後の明治8年には廃止されています。
土葬は火葬に比べて土地を必要とするため、東京、大阪などの首都圏ではすぐに土地不足に陥ったことが主な理由とされていますが、それ以外にも庶民感情として死者供養を神道が担うことに対する違和感もあったと思われます。
日本社会では、仏教が伝来してからというものの、有力者から庶民レベルにいたるまで、なんらかの形で仏教の教義の中で死者供養が行われてきました。
仏教僧の役割をすべて剥奪しようと考えた明治政府でしたが、死者供養だけは手に負えず、仏教側に差し戻したのです。
しかしそれは、仏教僧の役割が葬儀だけに限定されることを意味し、現在揶揄されている「葬式仏教」という言葉はこのあたりから始まっているものだと思われます。
檀家制度は衰退に進んでいる
人口移動や過疎化が進んでいる現代の日本では、旧来からの「イエ制度」は衰退していて、それに合わせて檀家制度も衰退していくのは避けられないことです。
檀家制度がここまで人々の生活に深く根差し、そして長い年月続いてきたのには、単に寺院側、権力側の無理強いがあったからというわけではありません。
当然、庶民たちも寺院による供養を受け入れることで、死の不安に対しての安心感を手に入れていた面もあったわけです。
生まれた土地で亡くなっていった死者の霊が、供養を重ねることで、ホトケとなり、さらに年月を重ねることでカミになるという独特の死生観を日本人は持っています。
寺も家も、ずっとその土地にあることに意味がありました。
そこに生まれて死んでいった者、その連続性が、親子となり先祖となるからです。
ですから家は、ただ単に家族が集まる場所なだけではなく、人々の死生観の根拠そのものだったのです。
しかし現代では、もはや「イエ」の観念が変わりつつあります。
私たちは、生まれた場所を平気で引越す時代に生きています。
生まれ故郷を離れてしまうと寺にも墓にも家にも寄り付かないようになり、そうすると寺院はもっと縁遠い場所になってしまいます。
こうして檀家制度はその維持が限界となり、衰退の一途をたどるのです。
『寺院崩壊』の衝撃 進む廃寺と檀家制度の限界の理由
廃寺がどんどん増え、檀家制度も限界に来ている。
その理由を探るのに最適な書籍に『寺院崩壊』本があります。
僧侶にして新聞記者である鵜飼秀徳さんによるもので、徹底した取材、数値データによる分析、そして日本仏教史のふりかえりなどから寺離れの現状と原因に迫る良書です。
この本を通じて檀家制度の限界の理由について考えてみましょう。
お寺の数は2040年には4割減
鵜飼秀徳さんの『寺院消滅』に書かれている内容は、仏教界だけでなく、社会全体にも大きな衝撃を与えました。
この中では、日本には現在77,000の寺院があると言われていますが、2040年には約4割の寺院が廃寺になるという予測が立てられています。
具体的な数値データを見せつけられることで、ぼんやりとイメージとしてあった「寺離れ」「宗教離れ」が現実の問題として立ち上がるようでした。
著者は、「寺院消滅」の原因には、歴史的背景(過去)と、社会構造の変化(現在・未来)の2つがあると語ります。
歴史的背景
- 明治政府の「国家仏教」から「国家神道」の切り替え(廃仏毀釈)
- 明治政府による僧侶への「肉食・妻帯の許可」(僧侶の還俗化)
- 「信教の自由」による布教競争。新宗教やキリスト教の台頭
- 大戦中の大陸への布教。教義のねじ曲げと「戦争加担」
- GHQによる「農地改革」。寺領地の喪失による寺院の困窮
社会構造の変化
- 地方から都市への人口流出
- 後継者不足
- 檀家の高齢化
- 布施の「見える化」
- 葬儀・埋葬の簡素化
求められる新しい形の寺院
さまざまなメディアに取り上げられ、改めて現在の仏教界に警鐘を鳴らした本書ですが、著者をはじめ多くの識者は、「寺院が完全に消滅するわけではない」と反応しています。
それは、現代社会に旧来の寺院のあり方がそぐわないだけであり、宗教そのものの必要性は誰もが感じていることに他なりません。
寺院のアップデートが求められているのです。
これまで寺院と庶民のつながりは「制度」が前面に出ていましたが、大事なのは人と人とのつながりです。
バブルも崩壊し、経済が破綻したあとの世界に登場したインターネットが象徴的ではないでしょうか。
SNSは、人の中に、人とつながりあいたいという根源的欲求があるからこそ、爆発的に普及したものだと思われます。
人を救うのは、制度ではなく、人に他ならないのです。
著者の鵜飼さんもあとがきでこう書いています。
「自分につながる亡き人と再会できるのが寺院だ」
寺院はつながるための場所です。
制度やお布施などが前面に出ることなく、まずは住職と檀家、檀家同士など、人と人が行きかうコミュニティであることが大切です。
そして亡き人といまを生きる人がつながりあえる場所こそが寺院です。
この横軸のつながりと縦軸のつながりの交差点として、新しい時代の新しい形の寺院が求められているのではと、筆者は確信しています。
そもそもお寺は檀家のもの
「お寺は誰のもの?」
こう聞きますと、十中八九の人は
「住職のもの」
と答えますが、厳密にはこれは正しくありません。
お寺は檀家のもので、あくまでも檀家が力を合わせて維持するものです。
定期的に集まってはお寺を清掃し、お金を出し合って建物を維持し、そこに宗派の本山から供養の専門家として住職を招き入れるのが本来の形でした。
住職の息子の進学のために檀家がお金を出し合う、新しい住職がやって来るまでに庫裏(くり:住職の住まい)や本堂をきれいにしておく、こうしたことをするところはいまの時代でも残っています。
いまでこそ住職の世襲制が当たり前になっていますが、本来の仏教では世襲はありえないことです(仏教はもともとは出家主義で家をつなぐという考えがない)。
檀家制度は、江戸幕府が強制的に作り、人々に押し付けたものです。
しかし悪い面ばかりだけでなく、グリーフケアや、コミュニティの中心としての役割をも果たしていたのです。
檀家制度を活用するメリット・デメリット
現在の日本では信教の自由が保障されているため、どんな宗教を信じても構わないのですが、それでも檀家制度は現存しています。
これは個人的な信仰心の問題とは別で、祖先祭祀とイエ観念が密接に結びついているからです。
そして菩提寺は、その家の古いご先祖様をまとめて供養してくれています。境内地のお墓(寺院墓地)がまさにそのシンボルです。
檀家制度の中で寺院と付き合っていくべきか、そうしないべきか。
この章では檀家制度のメリットとデメリットについて考えてみます。
檀家制度のメリット
まずは檀家制度のメリットから見ていきましょう。
檀家は手厚い供養を受けられる
檀家の最大のメリットは、独占的に先祖を供養してくれる専門家がいるということに他なりません。
手厚い供養を受けることで、大事な家族の死後に対して安心感を持つことができます。
両親や祖父母の定期的な法事のたびに寺院が自宅に来てくれて、あるいは家族や親族がお寺に出向いて法事を行います。
また、いまでも「月参り」の風習が残っているところは多くあります。
これは毎月死者や先祖の命日に菩提寺が家の仏壇にお参りに行くことです。
菩提寺との密接な関係性は、目に見えない形で私たちの生活を豊かにしてくれるのです。
いざという時にお寺やお墓を探さなくてもよい
いざという時に葬儀をしなくちゃいけない、お墓を用意しなくちゃいけない。
菩提寺があるとこうした必要がありません。
家族の大事な葬儀で、葬儀社から紹介されてきた寺院は全くの初対面。
相手がどんな人かもわかりませんし、人間関係も構築できていません。
葬儀はいつ起こるものか分かりませんが、普段から馴染みのある菩提寺であれば、すぐにこちらの考えや想いが伝わることでしょう。
また古くからの檀家はお墓を構えていることが多いために新しくお墓を用意しなくて済みます。
お坊さんは相談相手
お坊さんは、よき相談相手でもあります。
お寺の役割は、ただ葬儀や法事の時にお経をあげるだけではありません。
普段の生活の中で、困りごとや悩みごとがあれば、お寺に相談するというのも一つの方法です。
仏教は、死者をどう供養するかの宗教ではなく、人がいかに苦しみから解放されて生きていけるかを追求した宗教です。
だからこそ現代にまで生き続けているのだと思います。
生き方と逝き方。
ささいなことでも、人生の相談だけでなく、死生観や死後観にふみこんだ相談ができるのは、お坊さんくらいではないでしょうか。
お寺は地域コミュニティの中心地
人々が集まる中心地にお寺ができました。
これは人々が死者をつながる場所を求めていたからにほかなりません。
そして、お寺は檀家のものです。
定期的に集まっては清掃をし、法要を執り行い、そのくりかえしが地域のつながりを強固にしてきたのです。
いまでもお寺の境内で盆踊りをしたり、お祭りをしたりと様々なお寺が地域コミュニティの中心的な役割を果たしています。
地縁が希薄な時代と言われていますが、一方で地域のつながりの大切さが叫ばれています。
お寺の果たせる役割は、まだまだたくさんあるのです。
檀家制度のデメリット
「檀家」と聞くとネガティブなイメージを持つ人が多くいると思います。
現代の人々のライフスタイルに合わないとされている檀家制度の一体どこに問題があるのでしょうか。
この章では檀家制度のデメリットを考えてみます。
寄付やお布施など金銭的な費用がかかる
お寺の檀家になると寄付やお布施など、どうしてもお金がかかってしまいます。
葬儀や法事の時のお布施ももちろんですが、お寺の修繕費や新築工事など大がかりな工事の時には数万円から数十万円の寄付を募られることがあります。
寄付もお布施も本来は自分の気持ちを包めばいいものです。
しかし、現実問題として檀家制度は個々の家とお寺とのつながりだけでなく、その地域の住人みんなが同じお寺の檀家であることがほとんどなので、ある程度は金額を合わさなければならない面もあります。
檀家が支払う費用は年間2~3万円程度
檀家が寺院に支払わなければならないお金には、次のようなものがあります。
記載の金額はあくまでも目安だと思ってください。
お布施はあくまで「お気持ち」のものですし、地域によっても相場は異なります。
- 月参りのお布施 3,000円程度
月参りとは、毎月の祥月命日に仏壇にお参りに来て読経をすることです。
最近では月参りをしない地域が増えています。 - お盆参りのお布施 5,000円程度
お盆参りとは、毎年お盆の時期に自宅にお参りに来て読経をすることです。 - お寺での法要のお布施 5,000円程度
お寺では、毎年同じ時期にさまざまな法要を行います。
彼岸法要、施餓鬼法要、祖師忌(宗派の開祖の命日に行う法要)、釈迦の誕生日など、檀家たちは菩提寺の本堂に集まり、ともに読経をし、僧侶の話を聞きます。 - お墓の年間管理料 10,000円程度
もしも、お寺の境内にお墓がある場合、年間管理料をお寺に支払わなければなりません。
ここに挙げたものは毎年必ずかかるお布施です。
これ以外にも、もしも葬儀や法事がある場合はさらに高額なお布施を用意しなければなりません。
また数年や数十年に一度ではありますが、寺院の改修工事を行う時もまとまった金額の寄付を募られます。
- 葬儀のお布施 200,000円~
葬儀のお布施の相場は20万円くらいからです。
これも檀家と菩提寺の関係性や戒名のランク、喪主の考えや想いによって金額は変わってきます。 - 法事のお布施 30,000円~
葬儀のあとには、四十九日、百か日、一周忌、三回忌と法事が続きます。
これらの法事の時にもお布施を包みます。
法事のお布施、3,5,7,10万円くらいだと言われています。 - お車代・お膳料 各5,000円程度
葬儀や法事の時には、菩提寺に送迎の代わりに「お車代」を、食事の代わりに「お膳料」を包みます。
送迎や料理を手配する場合は不要です。 - 本堂など、お寺の建物の修繕や新築工事への寄付 数万円から数十万円
お寺の改修工事には、本堂全体、本堂内陣(ないじん:本堂内部)の仏具、本堂の屋根、山門、庫裏(くり:住職やその家族の住居)などがあります。
それぞれ数十年に一度のことですが、改修工事の際は高額の寄付をしなければなりません。
普段が忙しくて、檀家の務めが果たせない
檀家の務めとしては、行事や法要への参加、寺院内の清掃、団体参拝(檀家が集まって本山寺院などに参拝する)などがあります。
また、檀家総代や檀家役員になると務めはさらに増えます。
お寺が檀家で成り立っている以上、住職だけでなく檀家が寺院の運営に参加するというのは当然のことです。
しかし現代では、普段の仕事などで忙しく、檀家の務めを果たせないという人が増えているのが実情です。
寺院の行事への参加が半強制であるのがいやだということで寺離れが進んでいるという面もあります。
変わる宗教観 お寺の価値の低下
これまでのような地縁(地域コミュニティにおけるつながり)が希薄になっている中、寺院はどんどん遠い存在になっています。
また、テクノロジーも進化して死や死後の物語を紡ぐ宗教の重要性は低下しているという指摘もあります。
さらには檀家制度にあぐらを組んできた仏教寺院全体への嫌悪感などからお寺の価値は低下しています。
そんな中で檀家制度に積極的に参加しようという人はむしろ少数でしょう。
檀家制度を利用すべきか悩んだ時の判断基準
もしもお寺の檀家になるかどうかを悩んだ時には次のような判断基準で考えましょう。
先祖供養にお寺の存在が必要か
先祖とは、自分たちを生んでくれた両親や祖父母から連なる自分自身のルーツそのものです。
先祖の大切を感覚的に感じている人はとても多くいるのですが、この先祖供養とお寺がつながらないのが、現代の特徴だと思います。
先祖を大切にするのに、お寺の存在が本当に必要かどうかを考えましょう。
「自分たちの気持ちがあれば大丈夫」という人もいれば「ちゃんとしたお寺に供養してもらわないと不安」という人もいるでしょう。
「お寺」ではなく人柄で選ぶ
すでに菩提寺があるのであれば仕方ないですが、これからは自由にお寺を選べる時代がやって来るでしょう。
地縁や檀家制度というシステムに縛られることなく、住職の人柄で判断できる時代が来たのです。
私たちは自由に場所を行き来できますし、インターネットやSNSを通じて日本全国の寺院とつながることだって、もはや当たり前です。
だからこそ筆者は、人を救うのは教義や制度も大切ですが、最後は「人」だと思っています。
信頼できそうな人柄から寺院を選んでいくのもよいでしょう。
檀家ではない信徒というつながり
檀家と信徒という言葉があります。
この2つの区別は明確ではないのですが、信徒とは檀家よりも寺院とのつながりがゆるやかなニュアンスがあります。
以下、筆者なりにまとめると、
- 檀家は、境内にお墓を持っている。寺院の行事に積極的に参加する。寺院に寄付や寄進をする。
- 信徒は、境内にお墓を持ていない。寺院の行事に可能であれば参加する。葬儀や法事の時はその寺院に依頼する。
という具合でしょうか。
檀家ほどまでではないが、一定の距離で付き合いたいという人は、信徒として寺院とつながる方法もあるでしょう。
いつまでその土地に住み続けるか
菩提寺と檀家が良好な関係を維持するためには、お互いが同じ土地にいつづけるというのがあります。
将来的にどこか別の場所へ住むことになるのか、あるいはその土地に住み続けるのかを冷静に考えて、お寺付きあいをしていきましょう。
檀家制度の入檀/退檀の流れと注意点
檀家になることを「入檀」、檀家をやめることを「退檀」や「離檀」と呼びます。
入檀や退檀はどのように行われるのでしょうか。またどんな注意点があるのでしょうか?
入檀の方法と考えられる費用
入檀とは、寺院の檀家になることです。
入檀の方法はいたって簡単です。
「入檀したいです」と住職に言えばいいのです。
しかし、ある日突然に檀家になりたいということはあまりなく、多くは境内の墓地を取得することで檀家になるというケースが考えられます。
入檀する時には、「入檀願」「誓約書」「契約書」のような書類を取り交わすところもあるようです。
また、入檀料はお寺によって異なります。
10万円前後という情報がネット上に出回っていますが根拠は定かではありません。
石材店勤務の筆者は何度か入檀希望者と寺院のやりとりの現場に立ち会ったことがあります。
筆者の経験では、「入檀料は〇〇万円です」と金額を明示する寺院、「お気持ちで」という寺院、「不要です」という寺院、「それ何ですか?」という寺院が実際にありました。
このあたりの方針は、寺院によって全く異なるのです。
もしも墓地を購入して入檀するのであれば、墓地の永代使用料、毎年の管理料、檀家が毎年寺院を支えるために出しあう護持会費の支払いは、どの寺院でも必ず必要となるでしょう。
しかし、入檀料の扱いは寺院によってさまざまだというのが筆者の見解です。
退檀の方法とその後の対策
退檀とは寺院の檀家をやめることです。「離檀」とも呼びます。
退檀をするにも住職にその旨を申し出なければなりません。
檀家をやめること自体はそう難しくはないのですが、寺院の境内にお墓がある場合は少し厄介です。
遺骨を他の場所に移すには、役所から改葬許可を受ける必要があります。
この許可申請のための書類の中で墓地管理者の署名と押印が必要なのですが、寺院墓地の場合、この管理者とは住職に他なりません。
つまり、住職に理解を得られないと離檀できないという現実があります。
もちろん、すべての寺院が退檀を固辞するわけではありませんが、コミュニケーションがうまくとれていなかった故にトラブルに発展した例もあるようです。
施主がどういう理由で檀家をやめたいのか、つまり改葬したいのか。その理由を受け入れてもらえるかが大切です。
- 住まいが遠方で墓参りが満足にできないため
これはいたしかたないでしょう。大方の寺院も理解を示してくれるでしょう。 - 跡取りや墓守がいないから永代供養にしたいため
「永代供養=退檀」というのはイコールでは結びつきません。
というのは、菩提寺も永代供養を受け付けてくれるからです。
むしろ、これまでご先祖様を供養してくれていたお寺に頼まずに別のお寺様に来てもらうことの方が、違和感を覚えるのではないでしょうか。 - お布施や寄付などのお金の工面が大変なため
檀家側としては死活問題です。寄付やお布施などお金がかかる檀家制度から離れたいと思う人はいまでも多数いることでしょう。
一方で寺院側も一軒の檀家を失うことは死活問題です。
寺院を維持するための収入減をひとつ失うことになるのです。
お布施はあくまで気持ちのものです。
もしも何もわからずに悩んでいるのであれば、まずは思いの丈を寺院に語り、相談するのもいいです。 - 檀家の努め(法要や行事への参加など)ができない
檀家は、金銭的援助だけが仕事ではありません。
お寺の定期的な行事や法要に参加するのも檀家の大事な務めなのです。
※遺骨の改装先を考える
まとめ
これまでの重要ポイントをおさらい
いかがでしたか?
では最後にこの記事のポイントを箇条書きでまとめます。
この記事のポイント
- 檀家制度は江戸時代から始まった
- 明治政府が「国家神道」に方針を変えても、死者供養は仏教寺院が担った
- 77000ある寺院の数は2040年には約4割減少すると言われている
- 鵜飼秀徳氏『寺院消滅』による寺慣れの歴史的背景
- 明治政府の「国家仏教」から「国家神道」の切り替え(廃仏毀釈)
- 明治政府による僧侶への「肉食・妻帯の許可」(僧侶の還俗化)
- 「信教の自由」による布教競争。新宗教やキリスト教の台頭
- 大戦中の大陸への布教。教義のねじ曲げと「戦争加担」
- GHQによる「農地改革」。寺領地の喪失による寺院の困窮
- 鵜飼秀徳氏『寺院消滅』による寺離れの現在的理由
- 地方から都市への人口流出
- 後継者不足
- 檀家の高齢化
- 布施の「見える化」
- 葬儀・埋葬の簡素化
- 檀家制度のメリットには、手厚い供養や安心感などが挙げられる
- 檀家制度のデメリットには、出費がかさむ、行事や法要に参列できないなどがある
- 檀家が菩提寺に年間支払う量は約30,000円。
- 葬儀や法事ができるとさらに出費はかさむ
- これからは寺院を「制度」ではなく「人」で選ぶ時代
- 入檀は比較的簡単にできる
- 退檀をする際は寺院としっかりとした話し合いや意思表示が大切
監修者コメント
監修者
終活・葬送ソーシャルワーカー
吉川美津子
宗教観については、日本だけでなく文明の発達とともに薄れていくと言われています。
そんな中、日本人は特定の宗教に対する信仰心は薄いけれど、神社仏閣巡りをして手を合わせたり、抵抗なくキリスト教の学校に通っている人が多い現状をみると、根底には日本人ならではの信仰心があるように感じます。
檀家離れが加速している中で、寺院の中でも危機感を持って活動しているところがあります。定期的にイベントを開催したり、住職が自ら外で出向いて活動しているところもあります。
「いつでもどうぞ」と門戸を開いている寺院もあります。かつて寺院は四天王寺に代表されるように、「医療」「福祉」「教育」「仏法」の中心となる役割を担っていました。
その役割のほとんどは、他の専門分野に流れ、仏法を伝える役割のみが残っています。
しかし「医療」「福祉」「教育」に寺院の果たす役割がなくなったわけではなく、地域共生が叫ばれる中、横軸を通す中心として今、再び寺院の立ち位置が注目されています。