墓石の形状はさまざま!種類やその意味に迫る
墓石の形状について徹底解説
- 時代や文化により墓石の形は様々で、それぞれ意味がある
- お墓は故人を思い、生者の幸福を願う場で、石は永遠を表す
- 墓石デザインは和洋デザイン型など多彩で、後世への継承も考慮が必要
- 特別な墓石形状を望むなら、石材店への相談が要る
墓地に行けば同じように見える墓石が並びます。
しかし、よくよく見てみると墓石の一つ一つの表情が異なります。
墓石にはたくさんの種類があり、その数だけ意味や成りたちの理由があります。
この記事では墓石の形状について詳しく述べさせていただきます。
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この記事の目次
墓石形状に込められた意味と歴史について
墓石の形状は時代によって実にさまざまな形に変わってきています。
まずは日本における墓石の変遷をたどってみましょう。
仏教伝来以前のお墓
日本社会の中で現在のような墓石が立てられるようになったのは平安時代からだと言われ、これには仏教の伝来が大きく影響しています。
それまでの日本では、さまざまな形で土中への埋葬が行われ、石が使われないお墓もたくさんありました。
縄文時代は土壙墓(どこうぼ・地面に穴を掘って埋葬する)が一般的でしたが、弥生時代に入るとさまざまな形状のお墓が見られるようになりました。
甕棺墓(かめかんぼ)
甕の中に遺体を納めて埋葬します。遺体は屈葬(くっそう)と呼び、膝を曲げて屈ませる、いわゆる体育座りのような姿勢で甕の中に納めました。
成人男性を納められるほどの甕は、器高1mを超える大型のもので相当に手の込んだ埋葬方法です。
遺体を埋葬するために人々が大変な労力を用いて甕を製作した姿が想像できます。
支石墓(しせきぼ)
土壙墓の上に大きな石を置くのですが、それを数個の石で支えたため、支石墓と呼ばれます。支石墓は世界的に見られ、石をいくつも積み上げて、その上に天井石を載せます。
天井石の下では儀式が行われていたようで、上級階級の墓制として発展したのではないかと言われています。
アジアでは朝鮮半島に多く見られ、日本では九州の北部によく見られる墓制です。
石棺墓(せっかんぼ)
板石を組み合わせて棺の形状を造り、その中に遺体を埋葬したものです。
支石墓に伴う形で現れました。
いまでも、お墓の地下部、遺骨を納める場所を「石棺」と呼びます。
こちらも石で囲んで遺骨を守る空間を作るため、石棺墓の名残と思われます。
木棺墓(もっかんぼ)
木の板で棺を造り、その中に遺体を埋葬したものです。
木を板上に成型するには製版技術が必要で、弥生時代には金属を用いて製版していたのではと言われています。
ただし、木は朽ちやすいためにその実態はよくわかっていません。
墳丘墓(ふんきゅうぼ)
埋葬地の土を盛り上げる形のお墓です。
墳丘墓も世界中に見られるお墓の形です。
儒教文化の中国や韓国や日本などでは土を盛り上げて墓としますが、やがてこれがどんどん大型化していき、日本では古墳となっていきます。
古墳(こふん)
社会の授業で習った古墳は、日本を代表するお墓の形です。
有力者のお墓で大規模な墳丘墓のことです。
大化の薄葬礼と仏教伝来 墓石のはじまり
大化の薄葬令によって、大規模な古墳の造営や殯(もがり)などの手厚い葬儀が禁止されました。
また、仏教の伝来とともに火葬が伝わったと言われています。
高僧や貴族たちの間では火葬が行われ、仏教の教義に倣った石塔(宝篋印塔、五輪塔、宝塔など)が建立されるようになりました。
石材加工には卓越した技術が求められたため、墓石の建立は大変高価な弔いの方法で上級階級の人たちにしか普及しませんでした。
特に中世期は、一般民衆たちは遺棄葬(そのあたりに打ち捨てられること)で遺体の処理をされていたとも言います。
『餓鬼草紙』や『九相詩絵巻』といった絵巻には、この時代の人々の死後の様子が無残に描かれています(インターネットでも見れますが、閲覧注意です)。
しかし、絵巻の最期や隅には五輪塔が描かれており、この時代にはすでに死者供養として墓石が用いられていたことが分かります。
鎌倉・室町時代は石塔文化の最盛期
鎌倉時代や室町時代は石塔文化の最盛期を迎えます。石造美術の世界では、鎌倉室町期の五輪塔や宝篋印塔は最高峰だと名高い評価を受けています。
特に五輪塔は日本中に普及し、高名な聖として名をはせた重源や叡尊や忍性などの係わりも大きかったようです。
彼らが引き連れて宋から来日した石工集団も石材加工技術の向上に大きく貢献しました。
また、鎌倉時代には禅宗文化が日本に流入し、位牌と戒名が中国から伝わり、死者供養の際に用いられるようになりました。
それに倣って、板碑と呼ばれる薄い形の墓石や現在みられるような角柱墓などが作られるようになったのです。
江戸時代 庶民もお墓を持つ時代
江戸時代になると、これまで武家や公家など有力者のものだったお墓を庶民も持つようになりました。
庶民に墓石が普及するには2つの理由がありました。
ひとつは、檀家制度によって生活の中に仏事が定着したことです。
人々は必ずどこかの寺院の檀家になることを義務付けられました。
家の中には仏壇を構え、寺の境内や村はずれの共同墓地に墓石を建立したのです。
もうひとつは戦乱期を終えて世の中が安定することにより経済が向上し、墓石を入手しやすい状況が整いました。
廻船などによる海運や五街道の整備など物流が飛躍的に向上しましたし、石工の技術も向上して日本中の山から石が切り出されました。
墓石の形状は角柱型が多く、その多くは個人墓や夫婦墓がほとんどです。
明治以降に家族墓が一般化する
明治時代になると墓石は個人墓から家族墓へと変わっていきます。
これは、明治新政府が民法の中で家父長制による家族制度を押し進めて、社会の基盤を作ろうとしたからです。
個人墓や夫婦墓では、墓石の正面に戒名などを刻みますが、家族墓では「〇〇家之墓」のように刻み、ひとつの石塔で家族や先祖をまとめて礼拝するようになったのです。
また、明治期から見られるようになったのが「軍人墓」です。
先端がとがった形状の墓石は神道で用いられ、「兜巾型(ときんがた」とも呼ばれ、神道の三種の神器のうちのひとつ「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」を表していると言われています。
戦争中に惜しくも命を落としてしまった軍人は天皇陛下のもと、神道流に弔われたのです。
戦後はお墓や霊園が流行し、バブル後は墓じまいが増える
高度経済成長期には空前のお墓ブームが起きます。
「昭和元禄(しょうわげんろく)」という言葉がありますが、どことなく戦国時代以降の江戸時代と太平洋戦争以降の日本社会は似ているのかもしれません。
戦中戦後に満足に家族を弔えなかった人々が、経済力が向上することでお墓を積極的に持つようになります。日本中のあちこちで霊園の造成が行われ、墓石が建立されました。
また、このころから機械工学が進化します。
ダイヤモンドカッターの切削機により直線的に石を切ることができ、グラインダーによって本磨きの表面が可能になります。
いまでは当たり前の表面がつるつるぴかぴかした墓石は、実は昭和40年代ころから定着したものです。
形状が違っても墓石の役割は変わらない
墓石の役割とはなんでしょう。それは、亡き人を偲ぶためであり、いまを生きる自分たちの幸福を祈るためでもあります。
大切な人があの世で幸せになっていることを願うことで、自分たちの心がどこか安らぎませんか?
時代によって形状が異なっても、こうした人間の本質的な部分は変わらないのではと思います。
墓石の形状は異なっても、そこに込める想いには変わらないものがあります。いつの時代、どんな場所でも変わらない墓石の役割。
それこそが人間にとっての普遍的なテーマなのかもしれません。
お墓が石である理由は世代を超えられること
お墓は石だけがお墓ではありません。たとえば、弥生時代の墳丘墓は土饅頭こそがお墓です。
現代でも樹木を墓標にした樹木葬が人気ですが、これだって立派なお墓です。
しかし、こうした土や木がお墓になりづらいのは、やはり弔いの本質がつかみきれなかったからだと思うのです。
弔いの本質を表すのに最も適していたのが石なのでしょう。
石は永遠性の象徴だと言われています。
それは、この地球上のどんな自然物よりも耐久性や堅牢性に優れているからです。世代を超えたつながりを祈る対象として、人の寿命よりも長くそこにい続けられる石こそが、最もお墓に適していたのだと思われます。
お墓は故人の冥福を祈り、自分たちの幸せを祈る場所
お墓は亡き人を守り、祀るために作られると考えられています。もちろんそれは間違いではありませんが、お墓の役割はそれだけではありません。
亡き人の安寧を祈ることが、この世に生きる自分自身の幸せを祈ることにつながるのではないでしょうか。
私たちはお墓参りをする時に亡き人の供養を祈ることもあれば、自分自身のお祈りごとをする人もいるのではないでしょうか。
故人の幸せは私たちの幸せであり、私たちの幸せは故人の幸せ。
お墓は、そうした死者と生者がつながっていることを確認させてくれる場でもあるのです。
時代によって墓石の形状は違うものの、その本質は変わることがありません。
さまざまな墓石デザイン
墓石のデザインはさまざまな種類に分けられます。特に歴史が深い和型は、その中でもさらに細かく分類できます。
現在でも見ることのできるさまざまな墓石の形状を見ていきましょう。
和型
従来型の墓石をまとめて「和型」と括ります。
和型の基本形は角柱型の三段墓です。
つまり、角柱型の仏石を2つの台石に乗せる形です(3つの場合もあります)。
この三段墓にさまざまな加工を施したものを下にまとめました。
- 神道墓
竿石の先端がとがった形の墓石です。
神道で大切な神器とされている天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を模したものと言われています。
「兜巾型(ときんがた)」とも呼ばれます。 - 位牌型
位牌のような形をした墓石です。角柱型よりも奥行きが浅めです。 - 板碑型
鎌倉時代に多く用いられた墓石です。位牌型よりもさらに薄いのが特徴です。 - 笠付き型
仏石の上に笠がついた形状の墓石です。
五輪塔
五輪塔は、古代インドのバラモンの思想である五大思想を表した石塔です。
地球は、空・風・火・水・地の5つの要素で構成されていると考えられ、この考えが仏教にも混入して日本にも伝わってきました。
五輪塔は頂点から宝珠(空輪)、半月(風輪)、笠(火輪)、塔身(水輪)、基壇(地輪)の形と決まっています。
五大は人間そのものを表すとも言われ(空=生命そのもの、風=呼吸、火=熱、水=血液、地=骨)、五輪塔は死者そのものを表した往生の形として信仰されました。
鎌倉時代のお墓は五輪塔が主流でした。
有力者が建立するような重厚感のある五輪塔はいまでも現存していますし、お墓を建てられない庶民たちにも手のひらに乗るサイズの一石五輪塔が信仰を集めました。
法事などで使う木の板に塔婆がありますが、先端の切込みは五輪塔を表しています。
宝篋印塔
宝篋印塔は頂点から相輪、笠、塔身、基礎で構成される、塔の中に「宝篋印陀羅尼経」を納めるための石塔です。
特に天に昇るような相輪や笠の四隅に作られた隅飾りが特徴的です。
宝篋印塔も五輪塔と並んで鎌倉時代にさかんに造られました。
無縫塔(卵塔)
仏石が卵型のような墓石の形です。
もともとは鎌倉時代の禅僧のための墓石ですが、現在はさまざまな宗派の寺院で歴代住職の墓石として用いられています。
洋型
伝統的な墓石は、そのほとんどが縦長の仏石で構成されています。しかし、こうした伝統性をいやがる人が一定数いるのも事実です。
洋型では従来のお墓っぽさがやわらぎ、墓石の仏石が横長でワイドであるのが特徴です。東日本大震災以降、和型墓石に比べて高さが低く倒れにくい、ということから洋型墓石を選ぶ人が増えています。
デザイン型
洋型をさらにデザイン性に富んだ墓石もあります。
仏石が球体、三角などの象徴的な形状のものだけでなく、ピアノ型、ログハウス型、富士山など、故人の個性を表したものなどもあり、その形は施主の自由です。
以上、墓石のデザインについて解説いたしました。さらに詳しく知りたい人は、「デザイン墓石の種類や相場がわかる!お墓で個性が出せる時代」の記事を参考にしてください。
お墓は自分だけのものではない 世代を超えても飽きが来ない形状が望ましい
墓石は、世代を超えて手を合わす対象です。ですから、飽きが来ない形状が望ましいでしょう。
墓石を建てるときの流行や、施主の個性などだけでデザインしてしまうのは避けた方がいいかもしれません。
たとえば、施主がものすごくギターが大好きでギターの形の墓石を建てたとします。
これが個人墓であればよいのですが、家族墓であった場合、そのお墓の中に入ることになる子や孫がギターを好んでいる保証はどこにもありません。
いまの時代でもやはり三段墓が多いのは、あの形状が日本人になじみやすい飽きが来ないからだと思われます。
お墓は世代をつなぐもの、ということをふまえてデザインを考えましょう。
希望の墓石形状があるときは石材店に事前相談
墓石の形状に希望がある時は、まずは石材店に相談しましょう。現在の機械工学の性能を考えると、どんなデザインでもある程度は再現可能でしょう。
墓石でドラえもんやゴジラ、オートバイなどが表現できるほどです。
ただし、それでも加工が困難なケースもあるでしょうから事前の相談が大切です。
まとめ
これまでの重要ポイントをおさらいをいたします。
- 日本社会で墓石が建てられるようになったのは平安時代ころから
- 古代では石塔ではないお墓もたくさんあった(甕棺墓、支石墓、石棺墓、木棺墓、墳丘墓、古墳など)
- 大化の薄葬令と仏教の伝来によって、有力者たちの間で火葬と墓石が普及する
- 鎌倉・室町時代は石塔文化の最高峰と呼ばれている
- 江戸時代は、檀家制度で経済の発展による、墓石が庶民たちの間で普及する
- 明治時代からお墓は家族墓となり、大正、昭和と経て今の形に落ち着くが、平成に入ると墓離れが進行する
- お墓が石である理由は世代を超えられるところにあり、死者と生者のつながりを確認させてくれる
- 和型の墓石は角柱の仏石の三段墓が基本
- 従来からの墓石の形状に、五輪塔、宝篋印塔、無縫塔などがある
- 和型を好まない人は、洋型や、さらにデザイン性に富んだデザイン型を選ぶ
- 加工の希望があれば、まずは実現可能かどうか石材店に事前相談する
墓石全般の基礎知識ついて詳しく知りたい方は、こちらの記事も併せてご覧ください。
監修者コメント
監修者
終活・葬送ソーシャルワーカー
吉川美津子
お墓とは死者の遺体や遺骨を納める場所を指しますが、何もなくてもシンボルとして石塔が建っている場合などは、それをお墓としてお参りする対象になります。「〇〇家の墓」として一般に建てられるようになったのは明治以降のことで、それまでは個人ととに山野田畑の一角に埋葬したり、家ごとに屋敷の近くや山野の一角に墓地を設けて埋葬したり、同族単位あるいは複数の同族単位、もしくは近隣の村落共同体で山野の一角に墓地を設けるなど、地域によってさまざまな墓制がありました。
お墓の形も長い歴史の中で、宝塔、五輪塔、宝筐印塔、卵塔などさまざまな形がありますが、近年新しく建てられるお墓の半数は洋型と言われています。特に都市部では洋型の割合が8割以上と高く、縦長の和型墓石は少なくなりました。